エウレカセブンAOを8話まで見た感想

前回のエントリーで書いたとおり、自分の中でエウレカセブンブームが続いています。いやー、ここまでハマるとは思いませんでした。

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エウレカセブンAOも、放映開始から、はや2ヶ月。伏線だらけで、どんどん謎が深まるばかり。 ここで、一度エウレカセブンAOの謎、テーマについて、極めて個人的に考察してみました。

エウレカセブンAOの謎

エウレカは、「交響詩編エウレカセブン」に登場したエウレカと同一人物なのか

最大の謎。オープニングを見ていると、額にはエメラルドが存在しており、花の髪飾りもあります。これはつまり、前作「交響詩編エウレカセブン」に登場していた、エウレカと同一人物として描かれてます。 一方、AOの作中(2-3話)に出てきたエウレカは

  • 額のエメラルドがない(*1)
  • 羽もない
  • 空から落ちてきた時の服装は「交響詩編」と異なる

などなど、オープニングのエウレカとは、明らかに異なる姿で描かれていました。OPと物語のエウレカを、わざわざ異なる姿形で登場させているのは、やっぱり何らかの意味があると思うのです。

それはイコール、AOの世界はそもそも「交響詩編」の世界と時間的なつながりがあるのか?という疑問に至ります。映画版みたいに、パラレルワールド扱いの可能性が一番高いような気がするのですが。

実際、どうなんだろう?

(*1 3話をもう一度見直したところ、正確には「髪が邪魔して、額にエメラルドがあるかどう確認できない」が的確な表現でした。だとしても、わざわざOPでエウレカの容姿を分かりやすく描くとして、本当に同一人物なら、物語中も同じ容姿を描けば良さそうなものです。明らかに、 意図的に額を隠しているのは何故だろう?)

トゥルースって何もの?

トゥルースって、日本語では「真実」という意味ですよね。だとすれば、彼は何の「真実」を表す存在なのでしょう?この世界が、偽物ということ?映画「マトリックス」的な世界観ということかな?

スカブコーラルを敵視する、なぜかゲネラシオン・ブルを襲撃する、アラタ・ナルに何かを感じて連れ去ってしまうなど、行動・目的、すべて謎だらけ。

アラタ・ナルの存在はどういう意味を持つ?

物語では、スカブバーストが原因で病弱になった、という描写がありました。よほど強い意図、意味がなければ、ヒロインに当たるナルの設定に、わざわざこうしたことはしないと思われます。

ナルの病気にはどういう意味があるのでしょう? そして、なぜトゥルースについていったの? なぜスカブに近づくと、呼吸が楽になるの?こちらも謎だらけ。

ゲネラシオン・ブルの本当の目的は?

スカブからクオーツを回収したり、地下に未知のIFOを持っていたりと、相当うさんくさいところがあります。シークレットやスカブコーラルの対処をする以外に、なんらかの隠れた目的があると思うのだけど。

これらの謎が、イコールAOの世界の根幹とも言えるわけで、じっくり物語を追っていきたいところです。

謎だけど、個人的にそれほど気にならないもの

  • IFOパイロットは、少年少女に限られるのはなぜ?
  • アオの髪が突然エメラルドグリーンに変わったのは?
  • シークレット(Gモンスター)って何?

これらも謎といえば謎なんですが、個人的にはあまり気になりません。

IFOのパイロットが子供ばかりなのは、アオとアオをめぐるキャラクターたちの成長を描くための、演出上の設定と思えばよいですし、髪の色は「エウレカ」との共通点をビジュアル的に示すための演出。また、シークレットも、かっこいいバトルシーンを作るための小道具であって、全体的には 「アニメとしての演出、映像を引き立たせるための設定、小道具」 の範囲かな、と考えています。 なので、これらは「まあ、そういうものだ」ぐらいで考えれば良いかな、と。

テーマについての考察

次に、エウレカセブンAOのテーマについて考察してみます。AOのテーマは下記のようなものではないか、と個人的に考えました。

親子、そして親からの自立

作中には、たくさんの「親子」が登場します。フカイ・アオ、アラタ・ナルはもちろん、ガゼルも、沖縄時代に親子喧嘩のシーンがありましたし、フレアの父親にいたっては、ゲネラシオン・ブルの社長です。パイロットチーム「ゴルディロックス」にも、擬似的な親が存在していました。(すぐに死んでしまいましたが・・・)

一方で、前作の「エウレカセブン」では、親子関係の描写があったのは唯一「レントン」だけだった、と言っても良いでしょう。レントンはとても素直で、アクセル、ダイアン、アドロックに対して愛情表現こそ見せても、親子の葛藤のようなものは描かれませんでした。おじいさんであるアクセルとは、良く口喧嘩をしていましたが、これは「親子の葛藤」とは少々異なるものでした。

一応、エウレカも3人の子供がいましたが、いわゆる血縁としての親子ではありません。また、エウレカ自身には親がいませんでした。

レントンを除くと、「交響詩篇」に出てくるキャラクターで「親」の存在を感じさせるキャラクターは、ほぼ皆無でした。

それに比べて今回のAOは、さまざまなキャラクターに親子関係があり、いずれも親子の葛藤が描かれているのが特徴的です。ガゼルと仲間たちは、実の父親たちと反目しています。フレアと父親もしかり。アオも、母親に対しての愛情は随所に感じられますが、(まだ見たことがない)父親に対しては、反発心を隠そうとしません。

8話のエピソードは、ゲネラシオン・ブルの社長=フレアの父親が、フレアよりも1枚も2枚も上手だった様子がよく描かれていました。

これらを考えると、AOの主題の一つは、明らかに「親子」なんだろうな、と想像できます。そして、ガゼルもフレアも、そしてアオも、「親」からどのように自立していくか、どうやって自分自身の道を歩み出すのか、が今後の大きなポイントとなりそうです。

「自立」もしくは「独立」

そして、その延長線上に、「自立」「独立」があるのではないか、と。この「自立」「独立」、いろいろな意味があることでしょう。親からの自立かもしれませんし、組織からの独立かもしれません。あるいは、家族や地域、国家など、様々な庇護対象からの独立かもしれません。 物語序盤は、これでもかというぐらいに「独立」「自立」というキーワードに関する舞台装置が出てきました。 独立国家としての沖縄諸島連合は、国に従属する地方の独立を意味しているのでしょう。 フカイ・アオ=幼少時代を育んだ島、人々から、自分の意志でゲネラシオン・ブルに所属することを選んだ。「幼少期からの自立」を象徴しているように見えます。

国にせよ、組織にせよ、田舎にせよ、それぞれの集団は、その集団の利益や、さまざまなしがらみで縛られていて、その利益・しがらみに反するものは、集団から阻害される。

今回の物語は、そんな理不尽な「集団」「組織」「国家」といった、個人を縛るものからの自立、独立について、語られるんじゃないかなあ。

エンディングの映像で、アオが鳥のような翼を持って飛び立つシーン、あれなんかまさに「アオを縛り付ける何者かの緊縛からの開放」に見えるんですよね。羽がなくなって、代わりにニルバーシュが登場するところなんかは「ニルバーシュ=アオを束縛から開放し、自立を助けるための乗り物」みたいなイメージがしたりして。束縛からアオを解放する存在=ニルバーシュ、みたいな。

AOを見ていると、なんとなく「沈黙の艦隊」の最終巻で、海江田館長が世界に向けて放ったメッセージ「独立せよ」を思い出すんですよね。

サブサブタイトルに注目

最後になりますが、エウレカセブンAOには、洋楽などの楽曲から付けれたサブタイトル以外に、「サブサブタイトル」が存在します。これが結構、ストーリーと密接に関係あるものばかりです。

というわけで、まだまだエウレカセブンAOから目が離せません。