第三舞台解散記念その3・「深呼吸する惑星」観劇記
第三舞台の大千秋楽が終了、ついに解散してしまいました。僕は武蔵村山のライブビューイングを見ました。「同じ瞬間を過ごす」ことは、この上なく贅沢なエンターテインメントなのだ、と実感しました。
さて、無事に千秋楽を終えたこともあり「深呼吸する惑星」の観劇記を書かせて頂きます。
めちゃくちゃネタバレしてますのでご了承ください。
ちょっと濃い目の感想文す。
「深呼吸する惑星」のあらすじ
あらすじ及び概要はWOWOWのサイトを御覧ください。
※2012年2月4日、WOWOWでノーカット放送をするそうです。
舞台設定の特徴
今回の舞台は「アルティア65」という、架空の惑星の物語となっています。惑星間移動が行われていることから、地球の尺度で言うと近未来の物語、なのですが、あまり時系列は関係のない話となっています。
第三舞台は昔から、架空の「現在の地球ではないどこか」をモチーフにすることがあり、
- 「モダンホラー」の、宇宙船が漂着したどこか
- 「天使は瞳を閉じて」の、小さな都市、コミュニティがあるどこかの惑星
などもそれに当たります。特に、登場人物が多い時に、「ここではないどこか」の物語の形を借りて、シミュラークル上でストーリーを作る傾向があります。
幻覚に襲われる惑星=インターネットそのもの
劇中では「アルティア65に到着した地球人は、例外なく幻覚に襲われる」という設定になっています。
しかし、これは紛れも無く「インターネットに没頭している時の人間」のモチーフそのものに見受けられました。
インターネットに接続している時は、人によっては、自分の体から精神や思考が離れて、現実世界では考えもしない思考、言うはずもないような言葉・発言をすることがあります。
これは、見方を考えると、「幻覚症状に包まれている状態」と言い換えることができます。
アルティア65という架空の惑星を利用して「インターネット上でつながる人々そのものをメタファー化している」のではないか、と感じました。
場面転換の多さと、登場人物の「心理描写」
演劇の世界では、「X幕X場」という用語があります。物語上、時間や場所を一瞬で切り替えるときに、照明を暗転させて、次のシーンにつなぐことを場面転換といい、その場面転換の回数を「X場」という言葉で表します。
(ちなみに「X幕」というのは、長時間の上演になる場合、途中に休憩時間を挟んで舞台幕を閉じた回数で決まります。オペラの場合は、複数の幕になることが多いです)
「深呼吸する惑星」は、とにかく場面転換が多く見受けられました。「1幕何十場」、もしかしたら「1幕100場」を超えているかもしれません。
なぜろう?と考えていたのですが
- 場面転換ごとに、登場人物同士の会話や行動の描写が細かく行われている
- その後、各登場人物が「どんな事情によって」「どのように考え」「どのような行動をしていくのか」
を、丁寧に裏付けしているせいだ、と気が付きました。
各登場人物の状況を細かく描写し、「どういった理由で、人間関係が形作られているのか」「今のセリフは、どういう感情から発せられたセリフなのか」を、かなり細かく描写しいるのです。
これが結果的に、場面転換の多さを生み出しています。すなわち、心理描写をできるだけ細かく見せたい、説明したい、という意図の裏返しと言えます。
舞台転換の多さは、80年代-90年代前半の第三舞台にはあまり感じられなかった演出でした。
昨年見た、「虚構の劇団」の作品「エゴサーチ」も、かなり暗転=>場面転換が多い作品でした。最近の鴻上尚史さんの、演出上の特徴なのかもしれません。
逆に、「舞台上の人物、風景をよりリアルに見せるための演出」は、大胆に省略されています。
例えば、カンザキにつきまとう「友達」と、マギエル首相の運転手をする青年「ギンガ」は、高橋一生さんが一人二役で演じています。見る側からすると、明らかに混乱を招くキャスティングです。
今回の舞台には、脇を固める役者として、小沢道成や三上陽永などの芸達者な皆さんが登場しているため、あえて一人二役にする必要はない気がします。
この理由を考えてみたのですが、「友達」と「ギンガ」のキャラクターを考えたときに、「高橋一生さんに任せるのが演出上最良だ」という判断だったのではないかと思います。
(もしかしたら、単に確保するキャストの稽古時間の問題だったのかもしれませんが)
登場人物の心の動き、行動原理の描写に重きをおいた演出」だった、と想像してみました。
最後の別れは、第三舞台とそれに関わる人たちの別れそのもの
最後のシーンで、登場人物が互いに別れを告げるシーンがありました。このシーンは、演出上の「別れ」以上に、第三舞台を作ってきた役者同士、スタッフ同士の別れ、そして劇団とファンとの別れそのものに見えました。
キリアスの無謀な行動=状況を前に動かす力
最終シーンで、キリアスが全てを思い出し、理解し、既に行動の理由も失っているにも関わらず、あえて無謀とも言える行動を起こします。
結果的にこの行動が、惑星の運命そのものを変えるのですが、これは
「ぐだぐだ言う前に、まずは行動する、前に進むことが道を開くこと」
という演出になっているのかなあ、と。
総じてハッピーエンドな作品でした
地球ではない、遠いどこかの惑星の物語、というシチューエーションは、先に述べたとおり
- 「モダンホラー」
- 「天使は瞳を閉じて」
と非常に似ています。
この2つの作品のラストは、救いがないと言うか、悲しい終わり方をするのですが、今回の「深呼吸する惑星」は、それに比べてハッピーエンドな結末だったと言えます。
30年続けてきた、劇団の解散が、次の旅立ちを寿(ことほ)ぐものであったことは、良い終わり方だなあ、と思った次第です。
以上、極めて私的な「深呼吸する惑星」の観劇記でした。
コメントする